悲観的生きる意味

突然ですが、私、将来の目標がないんですよね。

就職活動の相談でも何をしていいかわからないという相談が多いようです。大した目標を持っていない大学生なんて、そうなりますよね。私がそうです!

そこで、真剣に考えてみました。

自分は何がしたいのか。。。。。。。。。。。ない!!!

以前は医者になりたい大統領になりたい、お金持ちになって、遊んで暮らしたい、なんて考えてました。今は学力も足りないし、意地でもそうなってやるという気力がありません。腑抜けて無気力状態です!!どうするつもりはありませんが、自分早く死なないかなとも思います。

 

そんな現状を脱するために、まず、何でそんな夢を持ったかを考えてみました。

 医者になりたいと思ったのは、人の役に立てるからです。なぜ人の役に立ちたかったのか?自分に何か価値が欲しかったからです。なぜ自分に価値が欲しかったか?自分の存在を肯定したかったからです。

 大統領になりたいと思ったのは、世界を変えたいと思ったからです(躍起になってた時期でした汗)。世界を変えたいと思ったのは、自分の存在を示したかったからです。自分の存在を示したかったのは、自分の存在を認めてもらいたかったからです。

 お金持ちになりたいと思ったのは、お金があれば何も考えずに生きていけると思ったからです。

 

今までの自分の夢に思い至った経緯をみると、自分は承認欲求が強いのだなと思います。確かに、認められることに必死で、他人の顔色を窺ってばかりでした。

そんな生き方に疲れて、一生懸命に何かをすることがあほくさくなり、何を目標にすればいいのかわからなくなってしまいました。

人生のゴールってなんでしょうか?

何に価値を置いて生きていけばいいでしょうか?

そもそも自分は何で生きてるんだ、と考えるようになり始めました。

 

生きることに意味なんかないのではないか。

現代、幸せにならねば、という強迫観念が人々にあるように思えます。

幸せのために恋人を作る、結婚する、働く、遊ぶ、、、

躍起になっていたものがここに約1名、、、

幸せな家族を夢見てその要素として生み出された子は幸せを押し付けられ、何の疑問も持たずに幸せを夢見て子を産み、刷り込まれた遺伝子がその繰り返しを止めず、今に至るのかもしれません。私も何の疑問も持たず、結婚して、子どもを産んで、孫もできて、死ぬんだと思っていました。それって自分の幸せを子ども任せにしているようにも思います。はたと気づいて、もっと考えなければいけないなと思いました。

生まれていなければ、いろいろ悩んだりしなくてよかったのになあ。

幸せになる必要がない、と考えると、自分は主人公ではなく、モブ子さんでもよくなります。どんなに理不尽なことをされれもモブ子なので、幸せになる必要はないし、突然の死も悲観せず受け入れられそうです。受け入れる前に死ぬんですけどね。

 

思いのままに書いているとと今の自分の精神状態がやばいことに気が付いたので、もし最後まで読まれた方がいたら、忘れてください。